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名古屋高等裁判所 昭和44年(う)395号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一〇月に処する。

但し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人西岡勇名義の控訴趣意書(控訴趣意書補充書を含む。なお、当審第一回公判における弁護人の訂正参照。)に記載されているとおりであるから、ここに、これを引用する。

一、控訴趣意中、量刑不当を主張する論旨を除くその余の論旨について。

所論は、多岐にわたつているが、その要旨は、本件公訴事実について原判示の事実を認定して被告人を業務上失火罪に問擬した原判決の措置には、理由のくいちがい、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り及び事実誤認の違法のかどがある、と主張するに帰着する。

しかしながら、原判決挙示の証拠(但し、後記措信しない部分を除く。)は、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書をも含めて、いずれも十分に措信することができ、これらの証拠を総合すれば、原判示の事実は、所論にかかわらず、すべてこれを優に肯認することができる。もつとも、原審公判調書中には、被告人の供述として、右認定に反する趣旨に帰着する記載部分がないわけではないけれども、右の供述記載部分は、原判決のかかげるその余の証拠に対比して到底措信することができない。所論にかんがみ、記録をつぶさに調査し、当審における事実調べの結果を参酌して検討してみても、本件公訴事実について原判示の事実を認定して被告人を業務上失火罪に問擬した原判決の措置は正当であつて、これに所論のような理由のくいちがい、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り及び事実誤認の違法のかどあるを発見することができない。

ちなみに、所論は、まず、被告人は原判示のような火気取扱い業務の従事者に当たらない旨を主張する。

しかし、証拠によると、被告人は、本件の当時、原判示東武通運株式会社太田支店木崎営業所の自動車運転手として、ジーゼル・エンジンをそなえた本件普通貨物自動車等の運転業務に従事していたものであり、また本件のようなジーゼル・エンジン自動車を走行させるために必要な動力は、シリンダー内で急激に圧縮されて高圧、高温となつた空気に、燃料の軽油を霧状にして噴射し、これを着火爆発させることによつて発生させるものであることが明らかであるから、これと同旨の事実を認定して、被告人が、右説示の意味において、火気取扱い業務の従事者に当たることを肯認した原判決の判断は、これを正当として是認すべきである。従つて、この点に関する原判決の判断に所論のような違法のかどは少しもない。

次に所論は、(一)本件普通貨物自動車(以下、単に事故車という。)のエキゾースト・マニホールドとアイランド・ボードとの間隔が少なくとも五センチメートルはあつたこと、及び(二)被告人が取り付けたゴム板が、アイランド・ボードと全く同じ大きさであつたことを主張し、右の二点を論拠として、事故車のアイランド・ボードの上に取り付けられたゴム板が、エキゾースト・マニホールドに接触するというがごときことはありうるはずがない、という。

しかし、(一)本件事故車においては、運転席左側下方にそなえつけられた所論アイランド・ボード(長さ約八三センチメートル、幅約一六センチメートル、厚さ約一・二センチメートルの鉄製のもの)とその左側に位置するエキゾースト・マニホールドとの間隔が、最も少ないところでは僅かに約二・五センチメートルしかなかつたこと、及び(二)被告人が有り合わせのゴム・フラツプ(その幅は約二二センチメートルであつて、当裁判所昭和四四年押第七七号の証第一一号と同じ幅である。)を約八九センチメートルの長さに切つて(幅はそのまま)、幅約二二センチメートル、長さ約八九センチメートルのゴム板一枚をつくり、このゴム板をアイランド・ボードの上に(ゴム板の)前後左右の端がそれぞれ三センチメートルぐらいずつはみ出すようにして取り付けたことは、原判決挙示の前記措信しうる証拠によつて、これを明認することができる。してみると、事故車のアイランド・ボード上に取り付けられたゴム板がエキゾースト・マニホールドに接触するおそれのあつたこともまたきわめて明らかといわなければならない。もつとも、本件事故車の設計書の記載によると、事故車のアイランド・ボードとエキゾースト・マニホールドとの間隔は、少ないところでも四・五センチメートルは存在することになつているけれども、事故車の製造会社(日野自動車工業株式会社)が、前示東武通運株式会社太田支店木崎営業所に対して、事故車と同じ機会に納入した車台番号、登録番号が、事故車のそれよりも一番だけ少ない同型の普通貨物自動車(車台番号一二九三二、登録番号群馬一い二二一〇、以下これを単に実験車という。)もまた事故車と同じくそのアイランド・ボードとエキゾースト・マニホールドの間隔が最も少ないところで約二・五センチメートルしか存しないこと、その他、事故車の製造会社においては、アイランド・ボードとエキゾースト・マニホールドの間隔は必ずしも設計書の記載と一致しなければならないものではなく、たとえば実験車にみられるように、設計書に比較して、その間隔が二センチメートル前後も少ないということは決して稀有なことではないと理解していることなどの事実が証拠上明らかであるから、このような事実にかんがみると、アイランド・ボードとエキゾースト・マニホールドの間隔に関する設計書の記載が前記のとおりであるからといつて、これをもつてただちに事故車のアイランド・ボードとエキゾースト・マニホールドの間隔に関する原判決の事実認定を覆すべき証左とするに足りないことは明らかといわねばならない。その他、記録を仔細に検討してみても、右説示の事実に関する原判決の認定は正当であつて、これに所論のような違法のかどあるを発見することができない。

所論は、また、アイランド・ボード上に取り付けられたゴム・フラツプは難燃性の物質であるから、仮にその側端部分がエキゾースト・マニホールドに接触して加熱されたとしても、その程度のことで発炎するというようなことは到底考えられない、と主張する。

しかし、原判決のかかげる証拠、ことに技術吏員萩原健児作成の鑑定書二通を初め、原審第四、五回公判における同人の証言等によれば、所論のゴム・フラツプは、弁護人の強調するような難燃性物質ではなく、かえつて所論とは逆の易燃性の物質であること、及びこれを三五〇~四五〇度まで熱すると、他からの火炎に触れなくても、ときとしてみずから発炎する現象が認められること、以上の事実を優に肯認することができる。なお、所論のうちには、本件火災はエキゾースト・マニホールドの上方の天井部分に張りつけられた易燃性のモルト・プレーンから出火したものと推定される旨主張する部分があるので、検討してみると、原判決挙示の証拠や当審証人片山正邦の供述によれば、所論のモルト・プレーンは、これに添加されている難燃剤のゆえに、難燃性の物質であり、単に加熱されるだけでは(とくに火炎に当てるというようなことがないかぎり)、みずから発炎しないことが明らかであるから、モルト・プレーンが易燃性物質であることを前提とする右所論部分は到底採用することができない。しかして、以上認定の事実に、被告人並びに事故当時の同乗者佐藤孝三郎の両名が、それぞれ司法警察員及び検察官に対する供述調書中において、「事故車が鈴鹿トンネルに向かつて登坂してトンネルの東入口の手前約一三三・七メートルまできたとき、ゴムの焦げるような臭気を感じた。」とか「トンネルに入つて、一九・三メートルほど進んだところで、事故車のチエンヂ・レバーとサイド・ブレーキの間のゴム板のところから火の手が上がつた。」と供述していること、その他原判決のかかげる証拠を総合すれば、本件においては、事故車のアイランド・ボード上に取り付けられたゴム板が過熱状態のエキゾースト・マニホールドに接触して引火発炎した結果、原判決認定のような火炎発生をみるに至つたとの事実を明認するに十分である。ちなみに、当審における事実調べの結果によると、東武通運株式会社の係員が、ゴム・フラツプをエキゾースト・マニホールドに接触させた状態で車両を走行させるなどの実験をし、はたして、ゴム・フラツプが発炎燃焼するかどうかを前後四回にわたつて調べたが、ゴム・フラツプは一回も発炎するに至らなかつたとの事実を肯認することができるけれども、加熱されたゴム・フラツプがはたして現実に発炎するかどうかは、ひとりその加熱の程度だけではなく、加熱による温度上昇の状況とか、そのときの気象、天候、気温、湿度など諸般の影響を大きくうけることを否むことができないのであるから、前記のような実験結果をとつてもつて、本件火災の発生原因に関する原判決の事実認定を覆すべき根拠とするに足りないことは明らかであつて、疑を容れない。

更に所論は、本件火災による被害が原判示のように大きくなつたのは、火災発生現場である鈴鹿トンネルの構造上の欠陥と、トンネル内を事故車に対向して進んできた自動車の運転手が事態に即応した適切な措置をとらなかつたことによる、と主張する。

そこで検討してみると、もし、鈴鹿トンネルに、所論の強調するような、現在の交通量に相応する換気、防熱、照明等の防災設備が施こされていたとすれば、本件のような火災事故は、あるいは起こらなかつたかも知れないし、発生していたとしても、その被害をもつと小規模にくい止めることができたかも知れない。また本件火災に遭遇した対向車両の運転手がより効果的な対応措置をとつていたとすれば、被害はもつと小規模にとどまつていたかも知れない。しかし、とも角、さきに認定したような被告人の業務上過失に基因して、原判示のような火災が現実に発生した本件においては、弁護人の指摘する右のような事情が被告人の犯情に影響することは、これを否み得ないとしても、これが本件業務上失火罪の成否に、いささかの消長も及ぼすものでないことは多言を要しないところであるから、右所論もまた到底採用することができない。

これを要するに、本件控訴趣意のうち量刑不当を主張する論旨を除くその余の論旨は、いずれの観点からしてもその理由がない。

二、控訴趣意中量刑不当を主張する論旨について。

所論は、要するに、仮に、被告人が、本件について有罪であるとしても、原判決の量刑は重きに過ぎて不当である、というのである。

そこで、更に記録を精査して検討してみると、本件火災の発生した鈴鹿トンネルは、わが国における自動車交通の一大動脈ともいうべき国道一号線のうちでも、最も重要な隧道であり、原判決認定のような被告人の業務上過失によつて惹起された本件火災のゆえに、同トンネル内において被告人運転の普通貨物自動車をも含めて、合計一四台の大小車両がその積荷等とともに灰燼に帰したばかりでなく、前記国道一号線の交通は一時大混乱に陥つたことなど、本件火災のもたらした経済的損失や社会的影響は、きわめて大きいものがあつたといわざるをえないこと、それにもかかわらず、本件火災のもたらした各般の損害について、被告人側がいまだに賠償填補の措置を講じていないことや、被告人が、これまでに業務上過失傷害や道路交通法違反の罪により、数回にわたつて罰金刑に処せられていることなどの諸点を重視して考量すると、被告人の刑責は決して軽いとはいえないから、被告人に対して禁錮一〇月の実刑をもつて臨んだ原判決の量刑も、あながら首肯できないわけではない。しかし、他面本件火災は、原判示のような被告人の過失と、火災の発生し易い気象、天候、温度、湿度等の諸条件が重なり合うことによつて発生した、ある意味では不運ともいえる事故であることや、実害がひつきよう経済的損失のみにとどまつて、さいわいにも人命にかかわるような重大な事態の招来するのを回避することができたこと、その他この種事犯に対する量刑一般との比較権衡等の諸点をもあわせて考慮すると、被告人に対して、今ただちに禁錮刑の実刑を科するよりは、むしろこの際相当期間刑の執行を猶予して、更生の機会を与えることの方が刑政上より妥当な措置であるように思料される。してみると、原判決の量刑は、禁錮刑の執行を猶予しなかつたという意味において、いささか重きに過ぎて不当であると考えられるので、原判決は、その量刑を是正するために破棄を免れない。量刑不当を主張する本論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条に則り、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決する。

原判決が適法に認定した事実に、その示すところと同一の法条を適用して、被告人を禁錮一〇月に処するが、前記のような情状にかんがみ、刑法二五条一項を適用して、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、なお原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により、これを全部被告人に負担させることとする。

以上の理由によつて、主文のとおり判決する。

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